エース候補【井上愛里沙】経歴まとめ!女子バレーボール日本代表

世界バレー2022が始まりましたね!

引退も考えていた中、再任された真鍋監督から「パリ五輪を目指してほしい」のラブコールを受け現役続行を決意し2022年にはパリのチームへ移籍。

現役続行決意から素晴らしい活躍を見せている井上選手の経歴をまとめていきます。

皆さま最後まで宜しくお願いいたします^^

目次

1:井上愛里沙 エース候補の理由は得点源

井上愛里沙選手は21/22シーズン、久光スプリングスのリーグ優勝に貢献、584点を挙げています。

そんな井上選手がエース候補と言われる理由は

東レで活躍し一躍バレーブームを起こした木村沙織元選手が持っていた日本人最多得点記録の566点という

Vリーグ記録を12年ぶりに塗り替えたこと

です。

またベスト6に選出されMVPにも輝いています。

2:井上愛里沙バレーボールを始めたきっかけと経歴

2−1:バレーボールを始めたきっかけは友達

井上選手がバレーボールを始めたきっかけは2003年の頃に

友達に誘われたから

だそうです。

小学6年の時に既に身長が170㎝を超えていたそうで、そのままバレーボールの強豪校の就実中に進学します。

2−2:バレーボール強豪校就実中進学の理由

出身が京都の井上選手にとって、岡山県の就実中への進学は親元を離れての生活です。

なぜ、就実中へ進学を決めたのか。
その理由は色々調べてみましたが中学進学についての記事は見つかりませんでした。

とはいえ、小学校でそれなりの結果を出した事と身長が高かった事もあって強豪校へ行きたいという気持ちが大きくなったのでしょうね。

そして中学校では3年連続3位入賞を果たして一躍中学バレー界のホープとなっています。

が、なぜか高校はバレーボールが強い訳では無い地元の高校に進学をしました。

2−3:京都西舞鶴高校進学の理由と霜尾監督との出会い

中学校では優秀な成績を収め将来を期待されていたであろう井上選手ですが、なぜかバレーボールが強い訳では無い地元の高校へ進学をしました。

その理由は

「バレーは中学でやり尽くした感があり、医療の道に進みたかった」

です。

1年生は何か部活に入らないといけないという決まりがあった事からバレーボール部に入部をしますが、夏には退部しています。

そこにやってきたのが、環太平洋大バレー部出身の霜尾季挑(りいど)さん。井上選手が2年生になる12年春に赴任してくると、校長から

「井上という才能を持った子が部活をやめている。復活させてほしい」

と託される事になります。

しかし、霜尾監督はあえて井上選手に声をかけましせんでした。

自ら「バレーボールをやりたい」という気持ちになるのを待っていたのです。

その作戦は見事成功!

霜尾監督になってから部活の雰囲気がよくなり、バレー部の同級生に誘われ、井上選手の方から

「やり直したい」

という言葉があり、無事にバレーボールへの道に戻る事にります。

2−4:霜尾監督との道のりと成果

バレーボール部復帰をしてからは、中学時代の活躍から将来を期待していたバレー界の偉い人たちが、ここに居たのか!と
プレーする姿に目を奪われていきます。

その陰で霜尾監督は目に触れさせるために練習試合を設定したりと奔走をしてくれていました。

ただ、退部期間中に実施されていた強化合宿に参加していなかった井上選手は高校選抜に選ばれる資格が無い中、飛び級で高校選抜の合宿に参加できる事になった。

その後、高校生の有望選手が東西に分かれた試合に出場し、優秀選手賞を獲得。評価が高まり、世界ジュニア選手権のメンバーに抜てきされる。

霜尾監督は一般入試で大学進学を目指していた井上選手にこう告げた。  

「いったん、バレーで人生を切り開いてみようか」  

うなずいた井上選手は、シンデレラストーリーを歩んでいくことになる。

2−5:真鍋監督からのラブコールを受け日本代表レギュラーに!

世界ジュニアで日本女子のレギュラーを務め、28年ぶりの銀メダル獲得に導く。

その後筑波大学に進学し、1年生の時から年齢制限のないシニアの日本代表に選出される。

年代別代表で活躍を続け、

(21/22)Vリーグで木村沙織さんの持っていた日本選手の最多得点記録を更新

し、久光の優勝に貢献。

そして、再任した真鍋政義監督体制の日本代表では、

ついにレギュラーの座を手にした。

3:井上愛里沙 プロフィール

引用元:Twitter

名前:井上愛里沙
生年月日:1995年5月8日
出身地:京都府
身長:178㎝
血液型:O型
ニックネーム:アリサ
所属:サンラファエル(フランス)

最高到達点/指髙:303㎝/230㎝






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