数々の要職を務め、首相も務めた森喜朗(もり よしろう)氏。
色々と問題発言がありつつも、、政界の重鎮として大きく影響を及ぼしてこられました。
そんな、重鎮を支えてきた妻の存在は気になりますよね!
そして、子供はどのような道を進まれているのかも。
という事で、今回は、森喜朗氏の、
✔️妻はどんな方で馴れ初めは?
✔️子供は何人?
✔️子供は何をしている?
について、見ていきたいと思います。
1|森喜朗の妻はどんな方?
森喜朗さんの妻はどのような方なのでしょうか。
−1|【画像】千恵子さん
https://ryumasblog.com/mori02/
とても、上品さが漂う美人な奥様ですね!
−2|プロフィール
https://www.hokuto-no-ken-musical.com/moriyoshirou-family/
- 早稲田大学卒業後は、日本出版貿易にて勤務をされていました。
- 2000年には著書「わが夫・森喜朗」を出版されています。
2|森喜朗と妻の馴れ初め
森喜朗さんと妻、千恵子さんの馴れ初めを見ていきましょう!
−1|出会いは早稲田大学のサークル
森喜朗さんと妻、千恵子さんの出会いは早稲田大学のサークルです。
当時、千恵子さんは水泳をされており日焼けをしていました。
国際学友会という事もあってか、森喜朗さんは千恵子さんの小麦肌を見て留学生と勘違いをされたそうです。
そして・・・
お国はどちらですか?
と、声をかけた事で交流が始まりました。
千恵子さんは、留学生と間違われた事は気には留めず、
背が高くて中々のハンサム♡
夢を持っている可愛い人だな♡
と、感じたそうで、交際へと発展していったようです。
−2|1961年11月に結婚
森喜朗さんと妻、千恵子さんは1961年11月に結婚されました。
早稲田大学を1960年3月に卒業して、1961年11月に結婚と順調そのものな交際を続けていたのでしょうね。
結婚当初は、新聞記者をしていた森喜朗さん。
また、新聞記者として昼夜を問わず飛び回っていたそうで、あまり一緒に過ごせる時間はなかったのかもしれません。
−4|愛妻家で対等な関係
というのも、仕事が忙しく中々家に居られない中でも・・・
一日一回、用事がなくても必ず千恵子さんに電話をしていたそうです。
とっても、千恵子さんの事が大好きな事がよくわかるエピソードですね。
また、同じく千恵子さんも森喜朗さんを心底愛しているようで、
というのも、議員夫人の集まりで、
「夫のために死ねるか?」
といった話題になった際、子供ためには・・・と、発言する夫人たちを前に千恵子さんは1人、
子供のためにも死ねるけど、夫のためにも死ねる。
と、発言をされたそうでう。
千恵子さんも心底、森喜朗さんを愛しているのですね。
また、森喜朗さんの数々の失言時にも「あなた、また大変な事を言ったのね。」などと、しっかりご自身の意見をぶつけたそうです。
3|森喜朗と妻の子供は2人
森喜朗さんと妻、千恵子さんの子供について見ていきましょう。
- 第一子:祐喜さん(1964年10月15日生まれ)
- 第二子:洋子さん(1968年生まれ)
−1|長男は飲酒運転を起こし病気で他界
https://www.pinterest.jp/pin/759701030896877524/
森喜朗さんの長男、祐喜さんは2011年に46歳という若さで他界されました。
石川県能美郡根上町の名家に生まれ、曽祖父、祖父が町長を務め、父は衆議院銀と政治一家に育ちました。
- 多摩学園高校卒業
- 東海大学教養学部中退
- ジョーダン大学EFL(英語学校)卒業2000年から森喜朗氏の第一秘書として父を支える
そして、2006年に石川県議会議員補欠選挙ににて初当選す2期務めましたが・・・
県議時代の昨年8月7日午前10時ごろ、石川県小松市のコンビニに車で突っ込み、道交法違反容疑(酒気帯び運転)で逮捕されたことがニュースになった。
https://www.daily.co.jp/gossip/flash/20140328626.shtml
議員辞職後は、体調を崩して入院をしていたそうですが、2011年多臓器不全のため他界となったそうです。
−2|長女は社長夫人
森喜朗さんの娘、洋子さんは結婚され藤本洋子さんになられています。
洋子さんの結婚相手はI藤本真佐さん。
IT企業(デジタルハリウッド)の社長・・・という事で、洋子さんは社長夫人です。
同じ青山学院卒業という事なので、出会いは大学だった可能性が高そうですね。
https://note.com/capnovel/n/n5eb42d65f5c7
- 1967年、千葉県生まれ
- 青山学院大学経営学部卒業
- 在学中にマーケティング会社を企業
- 1994年にデジタルハリウッド設立に参画
- (株)アイ・エム・ジェイを創業し社長となる
- 1996年にweb総合インでグレーション会社を創業
- 1999年に兼業でツタヤオンラインを設立し、社長に就任
- 2002年にデジタルハリウッドに復帰、社長兼CEOとなる
- 2011年に(株)Platform ID取締役就任