2022年夏、仙台育英を優勝に導き、感動のスピーチで一気に心惹かれた方も多かったのではないでしょうか。
「青春って、すごく密なので」という名言は流行語大賞ノミネート、特別賞受賞となりました!
そんな須江航監督は、生涯野球に捧げてきた人生を歩まれていました。
そして、とても人格者として生徒たちにとても慕われています。
早速、須江監督の
✔️プロフィール
✔️野球経歴
✔️指導方針
を見ていきましょう!
1|須江航プロフィール
須江監督のプロフィールを見ていきましょう!
−1|プロフィール
引用元:X
−2|子供は2人
引用元:日刊スポーツ
須江航監督は、音楽教師をされている奥様がいらっしゃいます。
そして、息子と娘が1人ずついらっしゃいます!
甲子園優勝と仕事もバッチリこなしていますが、子供のイベントには必ず参加するとってもいいパパだそうですよ!
2|須江航の野球経歴〜学生時代〜
須江監督の学生時代の野球経歴を見ていきましょう!
−1|高校は仙台育英高校
小学2年生から野球を始めた須江監督は、地元の鳩山町立鳩山中学校を卒業後に、単身、
仙台育英高校
に進学しました。
当時から名門の仙台育英高校で野球部員として練習に明け暮れる日々。
しかし、名門仙台育英で、須江監督がプレイヤーとして日の目を浴びる日は訪れませんでした。
なんと、1試合も出場を果たすことはなかったそうです。
−1|試合には出られず高2で学生コーチに
練習を重ねても試合に出られることがなかった須江監督。
その一方で、リーダーシップはとても評価されていたそうです。
そして、そのリーダーシップを買われ、
高校2年生で学生コーチ
として、チームに関わるようになります。
ここから、須江監督の監督人生が始まりだしたという事ですね!
−2|甲子園に記録係でベンチ入り
学生コーチとして、活躍し、3年生では春夏連続で、
記録員としてベンチ入りを果たした須江監督
そして、仙台育英高校は準優勝を果たしています。
須江監督が記録員として下から支えていた事は間違い無いでしょう。
−2|八戸大学でコーチに
コーチや記録員として大活躍を果たした須江監督は、八戸学院大学へ進学。
大学でも学生コーチとして4年間野球部で活躍をされました。
3|須江航の野球経歴〜社会人〜
須江監督の野球経歴めっちゃ気になります!
−1|仙台育英系列中学校の軟式野球部監督
https://www.hb-nippon.com/2018/11/14/1623050/
大学卒業後は、仙台育英高校の系列である
秀光中等教育学校に就任した須江監督。
本当は卒業後に埼玉で高校教員になろうと考えていたそうですが、恩師から連絡があり、
中学の野球部を作るから来ないか。
との誘いを受け、中学校の軟式野球部の監督就任となる事になります。
とはいえ、秀光中学野球部は弱小校。
須江監督は指導方法を徹底的に探ったそうです。そして出会ったのが『データ』。
一人一人をデータ分析し、言葉を付け加えてやるべき事をしっかり示していかれたそうです。
そして、
弱小校は須江監督に導かれ全国大会レベルにまでなり2014年には優勝を果たしたそうです。
学生時代から須江監督のコーチとしての資質を見抜いていた当時の仙台育英の指導陣もすごいですよね。
−2|仙台育英高校監督就任
引用元:X
そして、須江監督は2018年に、
仙台育英高校の監督に就任
されました。
しかしこの裏には、2017年仙台育英の野球部員の飲酒喫煙問題が発覚し前任の佐々木順一朗監督の引責辞任がありました。
この事もあり、須江監督就任後半年間は対外試合が禁止だったそうです。
そんな環境下でも同年、夏の甲子園出場を果たしています。
高校生3年生記録員として出た甲子園以来、次は監督としての甲子園出場となりました。
そしてその後の成績は既にご存知の通り、
2022年夏の甲子園優勝!!
東北勢初の日本一をもたらしました!
4|須江監督の指導方針
須江監督の指導方針は気になりますよね!
−1|データの駆使
引用元:X
幼少時は数字が好きじゃなかったという須江監督。しかし、監督として
説得力を持てるものは何か?
と、考えた時に、中学の監督時代にたどり着いたのが、
多くの項目で選手それぞれの違いが一目瞭然となるデータ。
だったそうです。
データは、何かを切るものではなくて選手それぞれに方向性を示す事ができるもの。
どこに向かってやっていけばいいかを見せる希望
だそうです。
ただ、数字はただそこに数字としてあるだけであり、しっかりと須江監督が言葉で色をつける。
須江監督の丁寧な説明が相まって生きてくるものとなるようです。
−2|スローガン
須江監督は、毎年監督自身でスローガンを決めるそうです。
因みにチームの活動理念は「日本一からの招待」
応援席でハチマキを巻いて応援している映像は印象的ですよね。
須江監督が毎年スローガンを変える理由は、
人が変わると方向性も変わるから。
だそうです。
2022年はコロナ禍で他責的にする風潮が嫌で、人生はいつだって自分次第で変わる事を伝えたかったそうです。
そして、2023年は連覇と言われるが、やることをやった先に待っている事。
大勝負の前に「後はやるだけ!」というところから来ているそうです。
そして、2022年に英語で優勝している事から験を担いで英語にしたそうです。
−3|生徒と一つラインを引くこと
須江監督は、生徒との距離に一つラインを引くことを大切にしています。
というのも、
距離が近づくと判断が鈍ってしまうから。
だそうです。
愛情深い須江監督は、実際距離が近くなりすぎて中学監督時代に失敗した経験を持たれているようです。
高校の先生として寄り添うだけでもダメで、突き放すのもダメ、いい距離感で一人一人と向き合ことを心がけているそうです。
−4|怒る・叱るはしない
須江監督は、生徒たちに怒ったり叱ったりする事は無いそうです。
その理由に、
受け手がネガティブになってしまい失敗しないようにと挑戦をしなくなってしまうからだそうです。
語気を強めることはあるそうですが、丁寧に説明を、個別にしないと響かない。
そして、受け手の精神状態をよく理解することに注力し、伝わらなければ何度でも諦めず説明をされるそうです。